式内 野間神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 式内 野間神社

式内社 摂津国能勢郡 野間神社
読み:古 ノマ、現 のま
通称は布留神社
江戸時代は「布留社」と称していた
所在地 大阪府豊能郡能勢町地黄291番地
旧地名 摂津国能勢郡
御祭神 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
例祭日 10月14日 例祭

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
能勢郡(ノセ):3座並小

近代社格制度 旧郷社

創建     伝:推古13(605)創立
本殿様式   流造

境内摂末社(祭神)

住吉神社、春日神社、祓戸神社、七郎社

文化財

天然記念物 野間の大欅(国)

俗称 蟻無のけやき
野間稲地の旧蟻無神社境内にあって神木として保護されてきたもので、昭和二三年、国の天然記念物に指定された。幹回り10.75メートル、高さ約33メートル、枝張り東西42メートル、南北38メートル、樹齢は1000年以上と推定され、樹勢はいまでも旺盛である。梢にはたくさんのヤドリギがみられる。

一口メモ

豊能郡能勢町宿野の久佐々神社から野間神社へは峠道を越えて
川の東岸近く、住宅地の中に鎮座。

歴史・由緒等

当社は、第三十五代推古天皇13年(西暦605年)即ち、今より約1400年前、勅命に依り大和の布留神廟(今の石上神宮)から、布留道を通り奉遷したのである。故に当社を布留宮とも申。
昔は官幣社の待遇を受けていた。東能勢歌垣田尻吉川の総社でもあった。大祭には国より遣幣使も派遣されていた有名神社である。 その証として第六十代醍醐天皇の御代(西暦927年)式内社として延喜式の中に記してある。
ご祭神は饒速日命(布留大明神)で、神霊代は命が顔に懸けされていた勾玉である。
命は神武天皇の創業の際に、子・可美真手命と共に兇族長髄彦を討って大業を翼貰をし給うた軍神であり、又、天降りの際、天神(高見産土神)より賜りし十種の神宝を以って諸病を平癒し、諸難を避け給う御神徳を兼ね備えられた神でもある。

「社頭掲示板」

境内・社叢


鳥居

  
社号標                       手水舎


社頭掲示板

  
拝殿                        拝殿扁額

  
本殿

  
本殿右境内社                    境内右境内社

地名・地誌

地 図

大阪府豊能郡能勢町地黄291番地

交通アクセス・周辺情報

参 考

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